“考える”は、どう変化する? AI時代の「戦略思考」、その先にあるもの

問題解決思考を身近にするフレームワーク「Solvent」解説の最終章です。戦略思考の本質と限界について考察します。「目的にこだわる」「絞り込む」「動的に捉える」という要素を解説しつつ、新たな「旅思考」の可能性も探ります。AIとの共存時代に、人間ならではの創造的な問題設定の価値を再確認してみませんか。

ビジネスにおける問題解決の考え方やフレームワークを身につけることができたら、目の前の難しい判断を自信をもって意思決定できるのにな、いつも各論に目が行きがちなところを大きな視点から捉えたいな、でも問題解決や戦略思考は専門書も分厚くて本格的に学ぶには重そうだ……。

そんな思いを抱えたビジネスパーソンの方々に向けて、「問題解決思考を身近」にするためのフレームワークSolvent(ソルベント)をご紹介しながら、「考える」ことについて考えてきたシリーズの最終回です。

 

【過去3回の記事はこちら】

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最終回は、「戦略思考」編です。

Solvent考案者のアーキット代表 堀内浩二さんとJADE代表伊東の対談形式で最終回はお届けします。

 

堀内浩二(ほりうち・こうじ)

株式会社アーキット代表。「個が立つ社会」をキーワードに、「知」(論理的思考・問題解決)、「情」(EQ理論)、「意」(内発的動機づけ理論・意志決定論)を融合させた社会人教育事業に注力している。社会人向け教育機関であるグロービスでは20年にわたってマネジメント・スクールおよび上級管理職コースなどの講師を務める。

工学修士(早稲田大学大学院理工学研究科)取得後、アンダーセン・コンサルティング(現アクセンチュア)入社。シリコンバレー勤務を経験。帰国後、日米合弁のベンチャー企業にて技術および事業開発を担当。

【もくじ】

 

「戦略的に」考えるって?

「戦略的に」考えるという言葉から人がイメージするもの

リーダー職へのトレーニングのねらいとして、しばしば戦略思考の強化が挙げられます。弊社がJADEのみなさんと一緒に取り組んだのも、問題解決思考と戦略思考の整理・強化でした。伊東さんご自身は、戦略的に考えるという言葉に対して当初どんなニュアンスをお持ちでしたか?

孫子の「戦わずして勝つ」のイメージですかね。「戦争なのに戦わない」という逆説性が戦略の面白さでもあり、難しいところなのかな。個人的にレトリックが好きなので、そう感じてしまうのかもしれませんが。

ハッとさせられる言葉です。

社会人になってからは、「目的達成のために行動を最適化すること」という捉え方で認識していますかね。誰かに説明する時もポイントを押さえた表現になっている気がして使ってます。JADEのコンサルタントメンバーは、皆思考力はとても高いと思います。でも、誰にでも思考のクセはある。クセって自分だと分からないのですよね。学生時代のテストでも時間内に答案が書けて見直しをしても、間違えるじゃないですか。あれって、見直しのときも同じ思考ルートを辿ってるから、入口を間違えていると結局ずっと間違っている(笑)。

「自分の思考のクセ」を自覚して、今後のコンサルティングに生かしてほしいなという想いがありました。

わたしが関わる案件でも、すでに十分な思考力を発揮されているメンバーに「プラスアルファ」を期待したいという文脈で「戦略思考を身に付けてほしい」という依頼が多いと感じます。

しかし「戦略的に考えるとはこう考えることだ」という共通認識が世の中にあるわけではありません。そこでわたしたちは、ビジネスの現場で「戦略的に考える」という意味合いで使われる言葉を洗い出して、3つの思考スタイルにまとめています(図1)。

 

戦略思考の3要素

図1 戦略思考の3要素

おぉ、ビジネス書コーナーで見かけそうな言葉が綺麗に整理されていますね。なんて、お得なチャート。戦略思考といっても、Why - What - Howのどこに力点が置かれているかで違いがあるということがなんとなく理解できます。

戦略思考には共通認識がないと言いましたが、あるとすれば Why - What - How つまり「何のために、何を、どうやってやるか」が明確なことが挙げられると思います。

フレームワークって、字面だけ見ると当たり前なものが多いですよね。でも実践は難しい。

そうなんです。そこで、それぞれをもう一段階具体的にしたのが「目的にこだわる、絞り込む、動的に捉える」。Solventの4-Boxにマップするとこんな感じです(図2)。

 

戦略思考は問題解決のスキルがあってこそ

図2 戦略思考を支える分析的な問題解決のスキル

戦略は未来を考えるのだから、4-Boxでいえば上の段の話。でも戦略的に考えるには、ベースとして下の段が必要、という話でしたよね。

はい。「このために、これを、こうやろう!」という戦略思考のアウトプットだけ見ていると気づきませんが、よい分析がよい打ち手につながるという原則は変わらないので、一足飛びに戦略思考を身に付けるわけにはいきません。

 

目的にこだわる、絞り込む、動的に捉える

目的にこだわる

ざっと復習させてください。まずは「目的にこだわる」。

ひらたく言うと、戦略思考に長けた人は良い意味で「目的のためには手段を選ばず」なところがあって、「同じ目的が達成できるなら、もっとラクな方法があるかも!」といつも探しているようなイメージです。一方で考えるのが好きな人は、しばしばそれ自体が目的化して、考えごとを複雑にしてしまいがちですよね。

前者は「スパッ」と切り口のよい打開策とか発想できたときは爽快です。一方で、後者の迷路化も分かる。第三者のレビューを入れると、随分観念的になり過ぎていたのかなと反省することもありますね。

弊社向けのワークショップでは、この要素に時間をかけられていた印象があります。

はい。「何を何のためにめざすのか?」がクリアになれば「何をすべきか?」も考えやすくなるので。御社向けのトレーニングでは、おおもとの目的に立ち戻るエクササイズとして、御社が掲げる「インターネットをよくする会社」を題材にして、「自分が考える『よいインターネット』とは何か?」を言語化していただきました。

弊社では意図的に「これがよいインターネットだ」とは定義していないんですよね。
このあたりの話はファウンダー長山の対談記事をどうぞ。

mieru-ca.com

みんなが Yes と言える大きなイメージを示しつつ、何をどう実現するかについては、ひとりひとりが考える余白がたっぷりあります。いいな、と思ったのでお借りしました。

絞り込む = 課題を選び抜く

ここは前回かなり説明したつもりなので、今回ははしょってよいかと。

ですね。先日公開した「絞り込む」にフォーカスした記事「【SEOでも重要】10ある選択肢から本当に大事な1を選ぶ技術:そのカギは「問題」と「課題」の区別にあり。」 が考え方をかなりカバーしてくれてますよね。未読の方はぜひお読みいただきたいです。堀内さんから補足ありますか?

もちろんたくさんあります! が、軒をお借りしている身ですのでもう一言だけ(笑)。これは「目的にこだわる」とつながっています。使える資源が限られた中で「目的にこだわる」と、解決のために設定する課題は「絞り込む」ことにならざるをえません。

動的に捉える

「動的に捉える」、仕事なのである程度の柔軟さは必要だけれども、良い「朝令暮改」と悪い「朝令暮改」はありそう(笑)。表面上の言葉尻は変るのだけど、考えていることは一気通貫しているんだよみたいな話のときは私も伝え方に苦労します。

動的に捉えるのは大事な思考態度だと思っています。個人的なイメージとしては、「ブルース・リー状態」になること。

渋いですね。??? ファイティングポーズで手招きする、アレ?

そうです。あらゆる準備ができていて、”Ready for anything”(かかってこい)な状態。準備ができているといっても、状況は刻々と変わるので計画は立てられません。だから、観察から始めます。

……OODAループか! 観察→情勢判断→決断→実行、ですね。

はい。ビジネスでも、経営計画は立てますが、状況が変われば計画も変えざるを得ません。だから、目的と手段のつながりをいつもモニタリングし続けるのが必要です。「決めたことだから」と盲目的に行動するのではなく、行動しつつも観察を続けて積極的に目標・目的につなげていく。それが「動的に捉える」という言葉の意味合いです。

ブルース・リーの目的は戦いに勝つことですが、事業の場合は目的すらも変わりうるわけです。「目的にこだわる」一方で、目的すらも「動的に捉える」という、一段メタな「ブルース・リー状態」が必要。

まさに朝令暮改に対してすら、しなやかに対応するのが仕事やプロジェクト。生成AIのように技術の大きな変化によって、以前はめざせなかったような目的を持てるようになることもあるわけですよね。
しなやかだけどファイターとしての熱さもある、個人的にブルース・リーはとても良いたとえだけど、先日、弊社のブログ記事で「レコードのA面/B面」をモチーフにした記事を出したら、20代の社員からA面B面の意味が分からないと言われ、ジェネレーションギャップを感じました(苦笑)。

そうかも。いつもわかってもらえないのですが、頭に浮かんできちゃうんですよね。読者の誰かはわかってくれるかも。

20代の読者のみなさんは、ぜひYouTubeで「ブルース・リー」と検索してくださいね。

 

「考える」のこれから

戦略思考の限界

あえてネガティブに堀内さんにボールを投げます。戦略思考って、なんかあざとくないですか?

えーと……はい、こだわる目的が「勝ち負け」に留まると、あざとくなり得るかなと思います。

たとえば、ある会社が「業界シェア一位」をめざしているとします。「競合他社よりも高い価値を顧客に提供する」のがまっとうな方向性だと思います。でも一位になりさえすればよいなら、「フェイクニュースでライバルの評判を落とす」のもありですよね。

あざとい、というかダークな事例(笑)。目的の置き方次第ということですか。

そう思います。Win-Loseな世界観で戦略思考を駆使されると、相手は「倫理より勝利かよ」と感じるのではないでしょうか。まあ、あらゆるスキルは「諸刃の剣」ですからね。

とすると、どんな風に目的を置けばよいのでしょうか?

自分だけでなく顧客、業界、ひいては世の中を含めた「大きな絵」を描くのがよいと思います。いまの例でいえば、嘘をついて他社の価値を貶めるのは顧客に対する裏切りです。これはおそらく、組織で合意した「大きな絵」とは整合しないでしょう。

もうひとつ。戦略思考って、目的還元的すぎてクリエイティブな答えが出ないイメージがあります。

そもそもビジネスで求められる思考とは、つまるところ「目的を果たす最善の手段を選ぶこと」じゃないですか。なかでも戦略思考は「目的にこだわって」「絞り込む」発想なので、切り捨てるものも多いわけです。最短ルートで行く旅行に寄り道での発見がないようなものかも。

でもその一方で、目的還元を突き詰めるとクリエイティビティに突き抜けるんです。

目的を突き詰めるとクリエイティブな答えに突き抜ける……前回「目的フォーカス」で書かれていた話とつながりますか。

そうです。目的って、より高い目的を考えられますよね。たとえばプロジェクトを成功させたいのは利益をあげるため、利益をあげたいのはより高い顧客満足につながる価値提供の原資を得るため、顧客満足を追求するのは組織の理念を実践するため、といったように。

そうやって一段二段高い目的からあらためて手段を考えおろすと、思いがけず良い手段が見つかる可能性が高まります。JADEでいえば、インターネットをよくするためにできる最善の手段は何かと問い直すことで、新しい業態が見つかるかもしれません。

なるほど。目的すらも「動的に捉える」と先ほどおっしゃっていた意味がわかりました。

冒頭で、「戦わずして勝つ」という孫氏の定義が逆説的で面白いと言われていましたよね。あれも目的を突き詰めよというメッセージです。「目的は戦い自体ではなく、戦いの結果として得られる勝利だ。常にその最終目的から逆算して考えよ!」と言っているわけですから。

そう考えて「戦わずして勝つ」方法が見つかれば、たしかにクリエイティビティに突き抜けた実感が持てるでしょうね。「目的にこだわる」を「目的の目的にこだわる」に変えて覚えておこうかな。

組織人としては理念が一応最終目的ですが、個人としてはさらに問い上っていくこともできます。

個人として組織の理念を実践したいのは何のためか? ……哲学モードに入りそう。

そうですね、キャリア上の選択をどうするかといった話になっていきます。ちょっとPRさせていただくと、このあたりは以前『クリエイティブ・チョイス』という本にまとめています。

そもそも、戦略思考が万能というわけでもない。

「目的にこだわる」「絞り込む」「動的に捉える」という特徴のそれぞれが、限界にもつながると思います。

「目的にこだわる」が過ぎると、先に伊東さんが言われた通り、思いもよらなかった発見が少なくなるかもしれない。「絞り込む」が過ぎると、切り捨てた細部からのしっぺ返しをくらうかもしれませんし、「動的に捉える」が過ぎると、退路を断つような思い切った決断がしづらくなるかもしれません。

 

戦略思考を補うものは

堀内さんは、そういった限界をどう越えようとしているとか、ありますか。

戦略論の起源は戦(いくさ)なわけですが、戦のメタファーに限界があるのかなと感じます。「旅」とか「冒険」のメタファーで考えると面白く感じられると思っているので、旅思考であれこれ考えるプログラムを作ってみたいです。ブルース・リーからスタートレックのカーク船長へ、という感じでしょうか。

スタートレックも渋い!「旅思考」という響きは面白そうです。戦略思考とどう違うのですか?

旅のメタファーのいいところは、まず「敵を必要としない」ことです。戦略思考だって常に敵を必要とするわけではないですが、「戦」という字が敵の存在を示唆しますよね。使う言葉は考え方に影響を及ぼしますから、「目標達成への戦いとその戦略」と、「目標達成への旅とその準備」では考える内容が変わってくると思います。

たしかに、そんなに「あざとい」発想は出てこないかも。

二つめは「目的を能動的に定める必要がある」こと。戦争では勝利が目的ですし、経営では事業の成長が目的ですよね。旅の目的はもっと自由です。「あてもなくさまよう」でもOKなのですが、企業活動は組織の旅なので、皆が共有できる、わかりやすくて魅力的な目的が必要になるでしょう。

「敵に勝つ」とか「たくさん儲ける」といった、ある意味でわかりやすい目的からいったん離れて、活動の目的をゼロから自由に考えるのは、クリエイティビティの面でもモチベーションの面でもよい結果につながるんじゃないかと思います。

三つめは「発見が内包されている」こと。人によりますが、旅の醍醐味は大なり小なり「寄り道」や「出会い」にあると思います。多くの人は計画を立てますが、きっと計画の変更を迫られたり、計画を変更したくなったりするんだろうなという「不確実性への期待」みたいなものを持っているんじゃないかと思うんですよね。旅だと思えば、戦よりも不確実性をポジティブに捉えられるのではないでしょうか。

ゴールから逆算するってイメージが「戦略思考」にありますが、「旅」と捉えると発見的なニュアンスも加わって、不確実性の多いビジネスにとっては実はよりしっくりくる見方かもしれないですね。

 

「考える」のこれから

ここまで4回ありがとうございました。最後に大きく、『「考える」のこれから』について何かございますか?

AIに奪われない仕事、みたいな記事がよく出ていますよね。わたしも考えます。でも「奪われる」だとつまらないので、AIにいろいろ「任せられる」ようになったとしたら何を考えたいか、と考えています。

実際に小さなお題を作ってチャットAIに投入してみると、問題さえクリアなら分析・解決プロセスはけっこう支援してもらえます。とすると、「考える」力点は「いかに問題をうまく解くか」から「いかに魅力的な問題をつくるか」にシフトしていくように思います。

問題を作るとは理想を描くこと、Solventでいえば左上の Box を埋めることです。「何のために何をめざすのか」は、当事者にしか決められません。

そこから敷衍すると、顧客の問題を上手に解決に導くのがこれまでのコンサルタントの価値だとしたら、これからは顧客の「めざす」を上手に拡張して具体化するのが価値になるのかな、などと考えています。

イギリスの産業革命が18世紀後半ですよね。20世紀の終わりにインターネットの商業化が始まり、「いよいよ現代の産業革命が到来した!」の、なんというか”いよいよ”感が凄かったように思います。

日本にとっては、ADSLによって(ハイスピードというよりも)「常時接続」が早々に実現したのが大きかったなと。

これによって、「消費者の滞在時間のシェアを奪う」という発想が初めて誕生したと思います。これは画期的。

今では言われなくなりましたが、当時はナローバンドでしたので、「常時接続」が新しい響きを持っていました。

それからたった20年で、今度はAIによる「産業革命」ということになっているんですけど、前回の産業革命が200年ぶりの変化だったのに対して、今回のがその10分の1の期間というのに正直、まだ違和感はあります。「本当に革命なのか」疑惑ですね(笑)。

疑惑の中身をもう少し教えてください。

インフラとコンテンツという側面で見た場合、インターネットの時は、インフラ側もコンテンツ側も双方が影響しあいながら、成長していったように思うんです。

テキスト→画像→動画、の変化はインフラの低コスト化に合わせて広がりました。

が、今のAIが与えている影響って、インフラ的な部分、AIがインフラというのもおかしいかもしれませんが「目に見えない部分」としてのAIに関しては随分進化していっているように思うのです。検索エンジンなんかは際たる例ですよね。今や、Googleの検索アルゴリズムやクロール・インデックス回りのAI活用は凄まじいものだと思います。

業界の中にいる伊東さんならではの実感ですね。

が、「目に見える部分」=コンテンツの部分のAIはどうなんだろう?と考えたとき、たとえばChatGPTなんかはすごく便利だけど、うまく活用できているのはビジネスの一部じゃないですかね。

インフラのほうはすごく進化しているけど、コンテンツのほうは人々がまだ使いどころが見えていない感じがして、バランスが悪い。

ここはけっこう、時間がかかるんじゃないかなと思っています。インターネットの検索で代替できちゃうことも多いので、使う理由がまだまだ限られているんだろうなと。語学学習とかはメチャクチャ変わると思いますけど、それと「世の中全てが変わる」はスケールの違う話ですよね。

だから革命疑惑を唱えています(笑)。ビジョナリーではないので当てる自信はありません。

笑)

「ポテンシャル」は当然ある領域なので、何かしらベットすることは大事で当社もしますが、ゴールが見えないままやることでもあるので、どこかで冷めた目線もあったほうが良いとは思っています。

で、何が言いたいかというと、「人間が自分の頭で考える」ことの重要性は引き続き大事で変わらないんじゃないかと思います。

将棋は、AIのほうが強くなっても、人間同士の勝負が面白い、ABEMA観てても楽しい。

そういう意味で「勝ち負け」じゃない少しずれた構図の中にAI的なものとの共存はあるんじゃないかなとなんとなく思っています。(おわり)